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shiori

マッチング

4/16(土)曇りのち晴


朝、93分になった『keememej』をみなみに送る。

13時半、島さん宅で1945年の日記本撮影。

日記部屋の机に並べられた1945年に書かれた日記原本。書き手の顔は見えないけれど、確かに「対面」していると感じる。

知らない人の遺影を見つめる感覚とも違う。顔が見えないからこそ、もっと生々しい。見つめていると、見えないものが見えてくるような。


博文館当用日記の表紙「敗戦後一年の歳 三月二十一日に神田にて 漸くこの日記を買う機会に恵まれたり。」のメモ。

ボロ布で刺繍された日記帳カバーは「ボロボロだったから繕ったのよ。それも楽しい」と島さん。


日記帳が手に入らなかった時代。

日記帳のカバーを一日かけて作った時代。

「お母さんは私が死なせた」と日記に懺悔を綴った時代。

そうした時代を生きた人たちが日記帳に綴った言葉を読みたい。


日記に優劣はない。でも一冊の本にするためには、バランスを考えて選ばなければならない。

書かない「空白」の期間は、書かれた言葉よりも雄弁かもしれない。

でも選ばれる日記の条件には、毎日書き続けているか。

中断していたら、中断した理由が書かれているか、という項目がある。

書き手の必然性と読み手のニーズ、成立し難いマッチングに引き裂かれる思い。

クリームを抱いた岡田さんがzoom画面越しに書き手の名前を挙げる。呼ばれた名前を島さんがメモする。田中さんが6冊の日記借用書を書く。私は写真と映像で記録する。


満月。つづく微量の不正出血。ワクチンの副反応っぽい。


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