肌寒さで目覚める、一雨一度の秋。
昨日に続き、リモートで縄文のトークイベントに登壇する。
縄文時代は思い出だ。遺跡へ行ったり、土器を見たりするとき、歴史を感じるというより誰かの記憶に触れた気持ちになる。
土偶はポエムだ。人間や動物や植物を模した写実的な品はほとんどない。その技術はきっとあったのに。ポエムだからこそミステリーで、雄弁で、1万年後の人々ともコミュニケーションができる。
インスタントなわかりやすさと対極にあるもの。
私も土偶みたいなものを作って時を越えたい。
縄文文化が発生したのには様々な地理的な条件が背景になっている。4つのプレートに囲まれ、暖流と寒流の交わる場所でもある日本列島には、豊かな自然の恵みがあった。余剰生産の蓄えなしに、狩りと採集で定住生活をしたという点は世界的に珍しい。しかし自然は与えるものでもあり奪うものでもある。災害考古学という分野でも、縄文時代に起こった地震や津波の痕跡がわかる。自然が神であり大きな敵でもあったから、人間同士で争わず平和な時代が時代が1万年以上も続いたのではないか? などと皆さんと推測しあった。宇宙人が侵攻してきたことによって地球で一致団結するSFみたいに。
「書かさる」「歩かさる」「おささらない」のような、〜さる、さらないという北海道弁には、中動態的なニュアンスがある。そうしようとしていないのに、そうなってしまうという言葉。行為の主体と責任がはっきりせず、自分が半分自然のものだと言ってるような感じを受ける。縄文時代の自然とともに生きる価値観にも通じると思った。弥生時代がぜんぜんこなかった北海道。北海道には、まだ縄文の空気が少し残っている気がする。
トークイベントのあと、100年ぶりに美容室に行った。ずっと自分で切っていたのでベースがぐちゃぐちゃになっていた。髪を切ってもらえばすっきりするだけでなく、自己肯定感も上がるだろう。新規陽性者数もかなり減ってきたいまがチャンスと思い、勇気を出して行ったのに、少しいやなことがあった。かなり落ち込み、帰ってきてからシャワーを浴びて、ぐっと眠った。早く忘れたい。
忘れてきた。
気を取り直してご機嫌で充実した夜にしたい。
滞っているものが多くて焦りが大きい。そろそろまた自分とビデオ通話しよう……。